なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

10年前をふりかえる

 10年前の今日、中学校の卒業式でした。仲が良かった先輩と一緒に、式が終わった後で私の家で遊んでいました。突然、大きな揺れが起きて、「大きいね?」なんて言い合った記憶があります。あまりに長い揺れに、母が咄嗟にテレビを点けて。未曾有の大地震であると、知った瞬間でした。

 幸いにして、私の住んでいる地域は全く支障はなく。ただ、母方の実家が東北の下の方だったのでそこの心配が勝っていました。連日起こる報道と、ミニチュア撮影かと思うぐらいの大きな揺れと壊れていく建物、津波の映像。目の当たりにしたことがない光景はやっぱり他人事に見えましたが、他人事にしては心がゾワゾワする、凄惨な光景でした。

 それでもまだ幼かったこともあり、何事もなく日々を過ごしていましたが。高校に進学して、印象的だった出来事があります。それは、避難訓練のときでした。高々と鳴るサイレンの音に、お決まりのように机の下に隠れたとき。ひとりのクラスメイトが、椅子に座ったまま、固まって動けなくなっていたのです。どうして動かないんだろう、と不思議に思いながら、彼女を置いてそのまま体育館まで行った記憶があります。後から知った話ですが、彼女の親戚が東北にいて、緊急地震速報の音がトラウマになってしまったらしいのです。

 当時の私は「それで動けないなら元も子もないな」と割合残酷な思考回路でしたが、よくフラッシュバックを起こして上手く思考ができない自分のことを考えると、身体が動かないこともあるだろうな、と今はそう感じます。有事の際は、固まった人を引っ張っていくぐらいの気概でいたいですね。

 あの日から10年も経つんですね。今でも復興は完全に終わっていないですし、発電所の核問題とか、放射能がどうとか、片付いてないこともあると思います。完璧に元に戻すことは叶わなくても、今後、大地震が起きた際にまた同じ過ちを繰り返さないことを願っています。

 3年前、北海道で起きた地震があったときは生活に支障がでたのですが、きっと比ではないのだろうなと思います。1,2日で私の生活圏は概ね元に戻りましたし。インフラ系は死んだりしましたけど。近くのスーパーの食料配膳のために並んだことは多分忘れないと思います。バイト先の食材が軒並み駄目になってゴミ袋の山ができたことも。こちらも現在進行形で復興作業が続いていると思います。こっちに残った傷も浅くはないですね。微々たる力ですが、支援できたらいいなあ……。

 改めて、防災グッズの備えをしたほうがいいんだろうなあという気はしています。思い立ったが吉日。いざ災害が起きて、グッズの存在を忘れないか心配ですけど。

 10年経てば、中学生だった自分も大人になります。10年の間で数々の災害や事件を経験してきましたが、どれだって未来のための資料になり得るし、知恵になるし、備えになると信じています。リアルをリアルに感じられない特性を抜きにしても、「備えあれば憂いなし」という言葉の偉大さを知るいい機会になりましたね。

 ひとりでも多くの被災者の方が、安らかに過ごせることを祈っています。