なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

デジタルタトゥーの変遷

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 寒すぎて布団から出たくない。この季節がやってきました。一分一秒たりとも布団から出たくない。前の休みの日は本当にほぼ一日中布団の中にいました。力尽きるとこうなる。

 Twitterの仕様が変わってから、あまりTLを見なくなってしまいました。有益なツイートもあるし、果てしなくどうでもいいものや嫌悪感さえ抱かせてくるものも、無差別に(実際は私が普段見ているものを反映しているらしいけれど)流してくるので正直しんどい。自分の思考の垂れ流しなので、自分の過去ツイートは定期的に遡りますが、他人のツイートは正直どうでもいいというか……。仕事から帰ると力尽きてしまうのもあり、最近Twitterはあまり見ていないです。当社比。

 『のなめななし』のアカウントは9年目ですが、のなめ自身のTwitter歴は10年以上です。今まで作ってきたアカウントは10以上です。作って呟いて消して……の繰り返しで今に至ります。

 このブログも、なんだかんだそれぐらい。空白期間があるとあまり続いた感じはしないけれど、これからもこうやって波がある感じで書いていけたらなと思います。ネタを用意して書ける人は本当にすごいなと思います。私の日常がつまらないのもあるのかもしれないけど。

 実は、ブログ歴はもうかれこれ15年以上になります。初めてブログを始めたのが小学生の時でした。私と同年代の人はわかってくれると思うのですが、ブログがすごい流行ってたんですよね。今思えばネットリテラシーも何も知らない子供が、自由にあれこれ書ける場を持ってるというのは結構恐ろしいですが。

 割と幼い頃からネットにずっぷりだったので、個人情報のこととか、ネットマナー的なこととかには割と敏感です。懐古厨と言われそうだけれど。今のSNS隆盛期をみるに、そういうインターネットのあれこれは勉強して損はないですけどね。

 ブログも結構長いこと続けていて、高校時代の記憶がない以外は、それなりに続いているのではないかな……と。昔は結構好きなアニメとか漫画とか日常のことを書いていた気がします。リアルの友達がコメント残してくれたり、全世界に見せてるのに内輪ノリでやってるあたりですけど。過去のブログはほとんど消した(一部ログインパスを忘れて放置しているのがあるかもしれない、記憶がない)ので、この世から消え去ってはおりますが。

 『のなめななし』としてはてなブログでやる前にはFC2で書いていた、というのは一番最初の記事に書いた記憶があります。そのブログも、残っているのかすら覚えていないですが。消しちゃったかもしれない。ちょっと勿体無いなとか思ってしまう。

 話はちょっと変わりますが、今はスマホで簡単にスクショも撮れますし、すぐ魚拓を残されて……みたいなこともありますよね。消したと思っても実は誰かに拡散されたり。いわゆるデジタルタトゥーというやつ。簡単にネットに顔載せたりする人いるじゃないですか。それが私には信じられなくて。うっかり顔を載せたせいでネットのオモチャにされてる例とかを知っているからかも知れないですが、私には一生できないなと思っています。Facebookとかは本名登録が基本ですが、それでも正直嫌ですけどね。今の時代にそぐわないかもしれないけど、簡単にアップロードできるってことは、簡単にダウンロードできるってことだと思うので。

 のなめのデジタルタトゥーは、このブログとTwitterアカウントです。個人情報丸出しとかはないですけど、『のなめななし』が一番生きるために足掻いている姿を知れるんじゃないかなと。もしかしたら5年後ぐらいに消すかもしれないですが、その時はその時。

 両親に全部見せたらどんな反応するんだろうなとか考える時があります。その反応をブログに書けたら面白いのかな。やる気はないです。

 いつかふらっと終わる時まで、のんびり刻み続けていこうと思うます。

『書く』ことが好きじゃなかった

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 気づけば1年も後2ヶ月で終わりますね。何度も言ってるかもしれませんが、歳を重ねるにつれ、時の流れの速さを感じます。ブログも最後に書いたのが3月らしいです。とんでもないな。

 ブログのことを忘れていたわけではなく、単純に書く気力とネタがなかったので書けなかったということです。ネタは生み出すものですが。まあ、さておき。

 冒頭に私の手書きで書いてみる試みも、なんとなくやっておりますが。皆さんから見て私の字はどんな印象を抱くでしょうか? 少なくとも私は、この字を何気ないタイミングで見かけたら「読めるけど上手くはないな」と思います。字が揃ってないから汚いとさえ思うかもしれません。

 思えば、小さな頃から字は上手じゃなかった。両親……特に母親は習字をやっていて字が綺麗です。兄弟も、学校外の習字コンテストみたいなのに抜擢されるぐらいには上手だったし、硬筆も綺麗なんですよ。私だけ、悪筆です。

 左利きなのですが、習字は本来右で書く決まりがあるそうです。でも私は小学校から中学までずっと左で書いてきました。墨汁が一筆目に乗って太る、みたいな現象とずっと戦いながら書いていました。なので習字の時間は大嫌いでした。字が汚いので。

 私以外の家族みんなの字が綺麗なので、字の汚さを散々馬鹿にされてきました。年始に書初めをした時も、一人浮いててしんどかった記憶があります。

 そういう子供時代と思春期を過ごしたので、人に字を見せることに苦痛を感じていました。毛筆でも、硬筆でも。油性ボールペンを使うと特に酷くて、ゲルインキボールペンだとややマシになります。冒頭のはゲルインキなので、マシでもあの程度ですが。

 書いてるところを見られるのも嫌いです。「字が汚いなこの人」って思われてないか、とか思ってました。今はまあまあどうでもいいんですけどね。問診票とか申請書書くのも嫌いです。履歴書が一番嫌いでした。書き間違いが多いので、すぐダメにしてました。

 大学で書道を実際にやる講義をとったときは失敗したと思いました。トラウマとも言えないぐらいの小さな苦痛が残っていたからです。でも、講義自体は楽しかったなあ……周りは綺麗な人が多かったですけどね。ただ形式的に字を書くだけじゃなく、好きに表現して書いたりできたのがよかったです。後日、提出した作品をまとめて返却してもらったんですけど、母親に見られてしまって。また馬鹿にされるかと思ったんですけど「上手く書けてるじゃん」と意外な褒め言葉をもらった時は、嬉しさよりもビックリがきましたね。子供時代に言ってくれればよかったのにね。

 自分の気持ちを整理したり、色々想像したことを書き連ねたりすることは良くあったので、そういう意味では『書く』ことは好きだったんですけど、嫌いでもありました。読み返すと、なおさら自分の字の汚さに嫌気が差しました。

 まあ、LINEやSNSで済ますことが多くなった今では、手書きは却って貴重なものになってきていますが。大学卒業後はめっきり字を書く機会が減ったので、見せる機会があまりないという点についてはいいかもしれません。

 私の字はおそらく一生綺麗ではないですが、それでもまたこうやって、何気ないことを書いていこうと思います。

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 そろそろまた心療内科へ行くべきかと思っています。悩み。

依存と飽き性

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 自分の特性はなにか、と言われて真っ先に思い浮かぶのは「面倒くさがり」です。次に浮かぶのは「飽き性」です。

 ADHDの特性よろしく、私はとても飽き性です。熱しやすく冷めやすい。一定のジャンルが1年続けば長い方で、酷いときには一週間も経たずに飽きてしまうこともあります。理由はまあ、色々ありますけど。『単純に面白くない』『続ける気力がない』『面倒くさい』『そのジャンルのファンの民度が悪い』などなど……。理由を挙げればきりがないですが、まあ、理由は何であれ「続かない」のです。

 飽き性な故に面倒くさがりなのか、面倒くさがりだから飽き性なのか、鶏と卵の関係性のような特性が結びついて、それはもう酷い様相をみせているのです。

 そんなわけで。私はある一定のものに『依存』したことがない、と思います。記憶の限りでは。PCやスマホ……インターネットには依存していると思っているんですけど、それ以外には正直、依存しているという自覚がない。自覚がないだけで依存しているのかもしれない。わからないです。

 でも、親とか周りには「スマホ依存症」ぐらいにしか言われたことがないんですよね。お酒も好きでよく飲みますけど、以前一ヶ月以上平気で飲まなかったことがあるし。課金も、一時期していましたけど、課金をして得る推しと引き換えに最大級の苛つきも得ていたので、デメリットのほうが大きくてあまり好んでソシャゲの課金はしません。コンシューマーゲームには割と躊躇なくお金を払いますけど、お金を払わないと得られないものとお金を払わなくても得られるものの違いは大きい。

 そんなわけで、特筆すべき『依存先』の詳細がなくて、よくよく考えたら、そんなだから興味の幅も狭いのでは? と思わなくもないんですけど。

 冒頭の手書きにも書いたんですけど、依存=長続きじゃないし、依存しすぎるのが良くないのはよーくわかっているつもりです。でも、なにかに依存できるぐらい深くのめり込んでみたい気持ちもあります。ギャンブルと法に触れないもの以外で。

 で、まあ、なにがあるかなと思ったら、文章作成に依存しているのかな、という気持ちがあります。Twitterで呟くのが好きだし、ブログも書くのが好きだし(書かないのはネタがないだけ)、実は小説をいくつか書いたりもして……(それなのにこんなにブログを書くのが下手なので、実力はお察しください)。とにかく何かを書くのが好きで、それには依存気味かな……と。『活字中毒』ではないです。最近、めっきり本は読まなくなってしまったので。でも、また本を読みたいなあ。

 飽き性が故に依存症回避できてるなら、それはそれでいいんじゃないですかね? と自分に言い聞かせてみる。他の人より興味の期間が短いだけで、消して熱量がないわけじゃないんですけどね。……いわゆる「イナゴ」が嫌いなので、ジャンルにはまるときは慎重になりがちなのもあるのかもしれません。

 自分的には、なにもかもが中途半端なので、一度人生全部捧げたい! ってぐらいのめり込めるものがあれば良いのになあ、と思ってしまいます。生きる希望みたいな。危ういのかもしれませんけど。実際、依存できるものが何もない(拠り所がない)ほうが危ない気がするんですけど、どうなんですかね。

 お酒に依存するのだけはやめます。美味しいし大好きですけど。お酒に依存していいことなんて、なにもないですからね。

日の光に当たれども私は私

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 どうも、のなめです。お久しぶりです。

 なんとなく、気分で手書きの文章を掲載してみました。字は汚いんですけど、文字を書くのは嫌いではないので、もしかしたら不定期に書いていくかもしれません。読める人だけ読んでください。

 携帯で撮影して補正をかけたので若干歪んでいます。スマホで上手く撮る方法をあまり知らないのです。

 

 もう、自分がどんな風にブログを書いていたのかすら忘れつつある今日この頃です。本当に久しぶりすぎてわからない。ついでに言えば、会社のキーボードと今使っているキーボードのサイズ感が違いすぎて打ちづらい。

 今日は、この10ヶ月を社会人として生きてきて、どんな経過なのか、をざっくり書いていけたらなと思います。よろしくお願いします。

 

 自分が社会人になったなあ~と思う瞬間は、「なにに対しても責任がでかい」ということに気づいたときです。小さな一つ一つも、積み重なれば大きな功績になるし、逆にそれがミスであれば、大損害に繋がるわけです。私たちはそんな一つ一つの「小さい責任」を積み重ねて生きているのだな、と日々痛感しております。……というのは嘘で、痛感などはしておらず。相も変わらず他人事のように捉えております。社内でこういうミスがあったとか、他社でこんな事件があったとか、聞いて咀嚼をしても話して呑み込んでも、「ああ、そんなことが」で終わってしまう自分がいます。どうしてもいます。どこまでも他人事に生きてしまう私がそこに存在してしまうのです。

 「いつまでも学生気分」だなんて言葉を、メディアか、漫画か、ドラマか……今ではあまり言わないのかもしれないけれど、耳にしたことがあります。でも実際、学生から地続きできているのだから、学生気分が抜けないのは少々仕方がないことでは? とも思うんですよね。あまりにもウェーイwwwみたいなのは論外ですけど。

 私はもう学生時代のことを忘却しつつあるので「大学を卒業した私」という一個体でしか認識していないのですが。周りが私をどんな目で見ているのかはわかりません。昔より気にならなくなったかも。気にする余裕がないともいう。

 社会人として、頑張っているつもりです。どうしたら社会に適合できるかを、自分なりに工夫して考えています。実際、ある程度溶け込めている、と思います。多分。

 

 ただ、朝6時半に起床しようが、夜22時に就寝しようが、日中の光を浴びて生きていようが、「私は私」なんです。

 気づいたら死ぬことを考えていて、どうしようもないネガティヴ思考に陥っていて、友達の手を振り払って一人になりたがる。そんな私は、どうしても存在します。

 今日、どうしてブログを書く気力が出たかというと。通勤途中に、不意に想ったんですよね。「ああ、今日、頑張れば死ねるな」って。手書きの文にもあるんですけど。なんの気なしに、なんの予兆もなく、「もうちょっと行動力があれば、きっと私は今日、死んでるな」と、確信めいたことを考えていました。一日中。

 実は、今日が一番強かっただけで、この自殺願望に変化しかけている希死念慮が、最近はとても強まっています。どうしてかは、わからないですけど。

 私が死にたいときは、大抵逃げたいときなので。もしかしたら、逃げたいと無意識下で考えているのかもしれません。逃げたい理由も、よくわからないですけど。

 これでも、仕事を楽しんでやっていると思ってるんですけど、やっぱり私には無理だったのかな? なんて、少し寂しい気持ちにもなります。

 少なくとも一年は続けます。もうすぐだし。でも、それからどう生きるかはまたおいおい、考えます。

 とりあえず、病院、探そうかな……。札幌周辺でおすすめの心療内科かカウンセリングがあったら教えてください。嘘です。

あっという間に冬

 最近、Twitterの呟きも減り、日々を仕事と家事と睡眠、少しのYouTubeで過ごしているのなめです。私は2007年頃の、アニメの違法アップロードが蔓延っていたころのYouTubeが一番記憶に残っているのですが。まさかニコニコを卒業してYouTubeに時間を費やす日が来るとは当時は思っていなかったでしょう。まあ、どうでもいいんですけど。

 気づいたら12月がきていて、もうすぐ中旬にさしかかります。1年が終わろうとしている……。速すぎる。ここ数ヶ月は平日が過ぎるのがあっという間で、休日を大事に過ごそうとしても無為にしてしまうことが多かったです。

 相も変わらず、気づけば希死念慮が隣に座っているような感覚で過ごしています。知らない間に手を繋いでしまったらどうなるんだろうな。まだ死ねないですけど。

 ここ数週間の時間感覚がバグっているのですが、冷静に考えたら睡眠時間8時間+労働時間8時間(拘束時間は9時間)+自由時間(準備等含む)で7時間=24時間っておかしくないですか? 労働時間を減らしたい気持ちで一杯になります。家事や通勤などの時間を考えたら、実質的な自由時間は2,3時間がいいところじゃないですか。おかしい。

 自分はとりわけ時間の使い方が下手なので、尚更そう思ってしまうのかもしれません。……いや、でも長くないですか? 当たり前なのかもしれないんですけど、仕事に関する比重が重すぎる。学生時代は長期休みがあったので拘束時間に対しては特に何か思うことはなかった(早く終わらないかなとは思ってましたけど)んですけど。仕事に対しては朝起きてから帰るときまでずっと一貫して「帰りたいなあ」という気持ちが強いです。なんだこれ。

 私が体力がない上に人と関わるの苦手で、社会不適合であることを除いても。一応、一応……望んだ職種や職場のはずなんですけどね。根本的に働きたくないのがここにきて効いてきている。というか、これも最近きがついたんですけど、頭脳労働よりも身体を動かす方が向いているんじゃないか? という気持ちが強くなってきているんですよね。バイト時代はゴリゴリ肉体労働だったので。それはそれで疲れますけど、変に頭を悩ませなかったというか……。バイトだったからというのもあったとは思うんですけど。

 在宅勤務ができる職種に転職もありなのか……? と考えつつ、好きな仕事ではあるので、適合できるまで頑張ってみようかなという気持ちでもありつつ。話したか忘れたのですが、営業職で受かってしまったので営業をすることが近い将来あるのだと思うのですが(現在は営業補佐的な役割で勉強しつつやっています)、正直、正直営業は苦手だと踏んでいるので、できることならやりたくないんですが……。なんとか回避する方法があればよいのですが。難しいかもしれない。

 札幌もまだ雪が降らず、来週あたりから降る予報ではありますが、あまり冬を感じられないので早く降ってほしいなという気持ちがあります。今年は降雪量が多いらしいので、色々覚悟をしつつ、生きていこうかなと。

 寒さで色々とやられてしまうこともありますが、生きる方向で日々を過ごしていきたいですね。

タイピングあれこれ

 どうも、のなめです。今回のタイトルはなんぞや? と思うのですが、結論から言ってしまうと「のなめの特技」です。

 唯一自分で「特技かもしれない」と言えるのが、タイピングです。子供の頃からやっていた……というか、趣味の一つでもあります。

 タイピングの速度が世間一般の平均以上であると自負しています。初めてパソコンに触れてから10年以上経つので、さすがにある程度の速度で打てないのはな……というのもありますが。無心でキーボードを打つ時間が好きで、ただひたすらタイピング練習をしたりとかも好きです。

 実は、初めてブログを始めたのが小学5年生のころだったんですよね。その頃は本当にブログや個人サイトが流行していた時期でして(Yahoo!ブログとかアメーバピグとか……)。小児時代の私も流行に乗るべくブログを始めて、それから転々として……今に至ります。livedoorYahoo!、FC2、Amebaのサイトでそれぞれブログを書いていました。個人サイトとかも作成していたので、割といろんなサイトに触れています。こうしてみると移住民感がすごい。

 文章を書くのが好きだったのと、タイピングをするのが好きだったのが相まって今日までブログを続けているのですが。自分が話題とかネタを全然持ってない人間なので、いざ「ブログを書こう」と思っても何を書けば……ということがそこそこあります。ネタをちゃんと見つける人も作る人もすごいなと心から思います。

 話がそれました。タイピングを始めたのが大体それぐらいの時期で、タッチタイピングを覚えたのが12歳ぐらいのころだったはず。特にタイピングのサイトを使うわけでもなく、そういう系のCD-ROMを使うでもなく、我流で覚えました。なので、ホームポジションはここ1,2年で意識するようにはなったのですが、それ以前は完全に自分でアレンジした打ち方をしていました。小指を全く使わず、三本指でタイピングするスタイルだったと記憶しています。今は速度を上げたいので矯正中ですが。

 恥ずかしいのか誇って良いのかわからないんですけど、クラスに一人はタイピングが早くてドヤ顔するクラスメイトがいると思うんですよね。私がそれでした。少なくとも、高校時代のクラスでは一番タイピングが早かったです。なんの報告なんだ。大学時代でも、PCを使う講義でタイピングのテストがあったんですけど、一番早く終えて帰った記憶があります。タイピングが速いおかげでレポート課題の提出がギリギリでも間に合うんですよね。30分で大体2000字書けるので、大体1時間あればレポートを仕上げることができます。ちょっとした自慢です。

 タイピングをする人ならおなじみのサイト「e-typing」では、最高記録が332のThunderレベルなので、タイピング界隈だとペーペーです。あとミスタイプも多いのでタイピング検定とかになると駄目なタイプの人間です。目標は500なんですけど、道のりはまだまだ遠いですね。地道に頑張ります。

 好きこそものの上手なれ、のパターンのひとつなんだろうな、と思ったり思わなかったり。あんまり特技と言って良い特技かはわからないですけど。数少ない尖った技能なので、伸ばしていけたら面白いかなぐらいの気持ちです。気が向いたときぐらいにしか練習できていないですけどね。

 こんな小さくて些細なものでも特技にしていいんだな、って少しでもポジティヴに捉えられるようにしていきたいですね。

近況報告と、社会不適合者が思うこと

 お久しぶりです。最後に更新したのが8月25日で、気づいたら10月の半ばに突入していました。でも案外更新日がそんなに昔じゃなかったことにも驚いているというか……。

 とりあえず、近況報告としては、気づいたら「死にたいなあ」という気持ちになるぐらいで、でも特に行動に移すわけではない、というお決まりのパターンです。あと、電車とか地下鉄に乗るのが最近しんどいです。元々人混みが苦手なんですけど、人がたくさんごちゃーっと一つの場所にいるのが本当に無理で。ずっと虚空を見つめています。電車から降りて階段を上る人の群れを見るだけで気持ち悪くなるんですよね。なんなんだろう……。

 仕事の面は、まだまだ新人なので教えてもらいながら少しずつ覚えていっている途中、という感じでしょうか。職場環境は決して悪くないと思います。業界の先行きが暗いぐらいで。数年後に早期退職希望を募ってしまうかもなあ……みたいな……。私のメンタルが最悪なのと業績がちょっと悪いぐらいで別に辞めたい要素もそんなにないという。その二つが致命的なんですけどね。

 つくづく、社会に属するのが苦手というか、自分の物差しだけで測れる世界にいたいというか。決まった時間に起きて、同じことを繰り返して、同じ時間に寝る日々がしんどくて仕方ないんですよね。いや、まあ。他の国だって企業だってそうなんですけど。同じことの繰り返しってこんなにしんどいっけ?って。楽だけどしんどいというか、なんでこんな代わり映えのしない景色を見続けているんだろう、っていう気持ちになるというか。

  『社会に貢献するために働く』っていうのは、自分の生活が安定していることが大前提だと思うんですよね。自分が不自由なく暮らせているからこそ、社会に恩返し……というか、社会を回すという名目で働くというか。現状、社会に貢献するために働いても、社会は私に、貢献したことに見合った報酬をくれるのか?っていう。需要と供給が成り立ってこそだと思うんですよね。

 私はまあまあ、そこそこ社会不適合者なので、私の考えが一般的ではない、という可能性と、もしかしたらニューノーマル的な思考なのでは?という謎の自信が浮かんでは消えているような感じです。ただ言えることは、私は本当に社会、集団の中で生きるのが向いてないんだなあ、ということです。

 自由にこそ責任が伴うんだろう、ということは今年に入ってからぐらいにやっと気がつきました。私の解釈的に、『自由』っていうのは誰にも依存できないことを示すんですよね。自己責任の世界で、好きなように生きる。それこそが自由なんだろうなと。私は今、自由になりきれない代わりに、社会の庇護を(ある程度)受けている状態にあって。私の衣食住を守るけど、私の意思をある程度殺していくんですよ。守られたければ働け、社会に貢献しろ。って言われている気持ちになるんですよ。実際その通りなのかもしれない。

 今、人生や社会に不満を持っているのは、『守られていない』気持ちが強いからなんだろうなあ。報酬が報酬になってないというか。まあ、そうだろうな。

 最近、選挙カーの音をよく聞きます。肝心の投票日がわからないですけど、調べてちゃんといきます。自分の将来を選択することのひとつだと思うので。

 自分の周りの若い世代は行ってるイメージあるんですけどね。何度もTwitterで見かけますけど、投票率が上がれば、それだけ政治家はこちらを向いてくれる。私たちに向けた政治を考えてくれる。政治を変えるのは私たちなんだという意識を持ってほしいな、と有権者の一人としては強く思います。

 なんの話をしていたか忘れてしまったのでこの辺で。近々、希死念慮のことをまた書こうと思います。通院もしたほうがいいかなあ。考えておきます。

 だんだんと寒くなってきましたので、どうぞご自愛ください。