なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

コロナ禍の日々を考えて

 8月、溶けるんじゃないかってぐらいの暑さが続きました。札幌では先日オリンピックの競歩とマラソンが行われましたね。オリンピック全編通して観てないので全然わからないんですけど。あの灼熱の中参加した皆さんは本当にすごいです。札幌でも稀に見る猛暑でしたからね。

 さて、コロナ禍と言われてもう1年と半年が経つぐらいなんじゃないですかね。こんなに続くとも、依然として感染者数が減らないとも思わなかったので驚きが多いところです。

 今思うのは、10代から20代の不自由はとてつもないだろうな、ということ。特に小学生〜大学生なんて遊びたい盛りだし外出だってしたいし、大人数で騒ぎたい人だっていると思います。私だって、友人と何不自由なく会ってお酒を飲んだり旅行をしたりしたかった。けれどそれも叶わない今、青春時代と呼ばれる年月が強制的に灰色にされていくのは、あんまりだという他ないというか。ワクチンだって行き渡っているのは60代以上の人ばかり。大学生などで集団接種ができるところもあるらしいですが、私の近辺ではどうなんだろうな、という感じです。ちなみにのなめは9月下旬ごろを予定しています。多分。

 Twitterなんかでも言ってますが、のなめは今年大学を卒業しまして、卒業旅行はせずに終わりました。友人と西日本に行く予定でした。それも叶わず、いつ行けるのかもわからず。ワクチン接種ができたとて、今度はラムダだのデルタだのが流行り出すかもしれない。そんな中旅行するほど馬鹿でもないです。

 こう書いてきましたが、別に壮年期の人たちが不自由でないとは言ってないです。でも、上の世代の人たちが自由に旅行も遊びも行けた年頃に、自分たちはそれが出来ずに終わっている。これを不自由と言わずしてなんと言えばいいんでしょうか。

 『自粛慣れ』という言葉を目にします。オリンピックも開催されたし、自分たちだって外に出てもいいよね。そんな軽い気持ちになった人たちがいます。オリンピックが悪いとはいいませんが、オリンピックが影響していることもあるでしょう。まあ、普通に我慢の限界ということもあるだろうし、オリンピックを言い訳に使いたいだけかもしれないですけど。

 家とバイト先の往復から家と職場の往復になり、市内以外に出かけなくなってしばらくが経ちます。実家にもあまり帰らないので、本当にどこにも行ってません。逆に面白いなと思いますが、私はなによりも『誰にも移したくないし、移されたくない』という気持ちが強いです。私経由で誰かが重症化したら堪ったものじゃないし、誰か経由で私に罹ったら「ふざけるな」と思うかもしれません。だからこそ、過激なノーマスクや反ワクチン派は許せないというか。やるなら自分たちの間でやってくれと思うし、ノーマスクやワクチンを打たないことを「お前もそうしろ」と半ば強制する姿勢が嫌いです。自分が信じるものを、自分の大切な人にも信じて欲しいのかもしれないですが、それを強制するのは相手の意思や選択を否定することに他なりません。

 ワクチンを摂取しないことで、マスクをしないことで、私や大切な人が罹ったらと思ったら、憎んでも憎みきれない。私がもしコロナに罹ったとして、大丈夫だと高を括って友人に会って、友人も罹ってしまったら? それでもし中等症状にでもなってしまったら? コロナは中等症状でも生死の境に立たされる可能性があります。もしそうなれば私は私を憎んでしまう。

 マスクが苦しいのもわかります。ワクチンの副反応が怖いのもわかります。それでも自分や自分の大切な人を守るためには、そうした生活を続ける他ありません。だからといって旅行や遊びができない生活に耐えられるかと言われると、果てしなく微妙な感じはあります。だからせめて、自分が言ったことや思うことは守っていきたいと思います。それに、道外から旅行者が来たら普通に嫌なので、その逆を考えればまあ、効果はあるかなと。

 願わくば、早くマスクを取って普通に会話ができる日々が来て欲しいものです。医療従事者の奮闘に感謝しつつ、今自分ができることをしていきます。コロナ以外の病気にも罹らないようにせねば。

 皆さんも、日々の生活に気を付けて、生き延びていきましょう。