なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

SNSが普通にしんどい

 最近、Twitterとかネットニュースを見るのが中々にしてしんどい。Twitterは仕様が変わりまくるしゴタゴタ続きな上に、昔よく見かけた『バカッター』の再来なのか、迷惑行為がSNSでまた流れてきて、それがネットニュースに取り上げられて……の繰り返し。もう何回も見たような流れ。人間は過去から学ばないらしい。

 SNSによりお手軽に承認欲求が得られるようになった今、リスクよりも注目を取ってしまうのでしょうか。炎上商法……ではないけれど、それと似た構図ではあると感じます。でも、昔よりずっと個人情報を集めやすくなっているから、とことん犯人の情報が晒されたりして、学生だったら学校までつきとめられて……本当かは分かりませんが、退学になった人もいると聞きました。そこまでやる必要は全くないのに。

 本人がやったことは罰せられるべきだとは思いますし、若いのならこれを機に十分反省してネットリテラシーやモラルを学び直して欲しい、と個人的には思います。それを行きすぎた正義感、あるいは愉快犯的な思想で潰されてしまうのは可哀想だとも、単純に思います。

 まあ、店側もたまったものじゃないですけど。私も元飲食バイトだったので、こんなことされたらキレ散らかす自信はとてもあるし、怒っても足りないぐらいです。でも迷惑行為をした当事者を罰するのは法であったり、迷惑を被った側のやる事なのだから、外野は手を出すべきではないのでは? と不思議になります。感想を言ったり批判するぐらいなら、まだ分かりますけどね。

 若い世代に多く見られがちではありますが、スマホが普及してからSNSに触れた、みたいな世代も結構ガバガバなところがあると思います。日記感覚で使ってるのかと疑うレベル。まあ色んな人が使用してこそのインターネットではありますが……。

 SNSの話題になると、のなめは割とネットリテラシーや個人情報について触れることが多いですが。私は同世代と比べたらインターネットデビューが早いほうなので、ネットで個人情報を晒したときの怖さは割と理解しています。だからSNSをやっている人たちが、恐ろしいほど気楽に自分の個人情報を全世界に発していることが怖くて仕方がない。

 それでも私にも『そういう瞬間』はあると思うんですけど、下手したら全世界に見られてるってことに気づいてない人が多いし、逆に全世界に見られたいから過激なことをしようとする人も結構いる。冒頭に取り上げたのもそれの一つでしょうし。それと『SNSの自分』と『本当の自分』を結びつけて同一にしている(フェイクを入れたり、個人情報を隠したりしない)から、すぐ身元が割れちゃうんだなと……。

 あとちょっと話が変わるんですけど、単純に、これはTwitterの話しではあるんですけど。スパムが本当にしつこいし煩い。エロ垢もだし副業で稼いだ系もよくわからんネズミ講も全部うるさい。トレンドワードをツイートに練り込んだり、バズツイにリプライしてたり(あれはbotなのか?)、本当にどこでも見るし本当に嫌だ。迷惑メールにも似た感覚があります。消しても消してもすぐ湧いてくる。

 まあそういう、人の欲を利用したコンテンツだったり、過度な批判や強い言葉だったりを連日浴びてしまったので、結構メンタルにきているというお話でした。だったら見るなよとすごく思いますが、こういうのって避けるのが絶妙に難しくてですね。都度ミュートとかブロックしてればある程度環境整備をしても、一回見かけると結構しんどいです。

 しんどくなったら離れるのが一番いいんですけど、元ツイッター廃人のネット依存なので離れがたくてですね。休みの日にネット断ちするぐらいは可能なんですけど、頭溶けるぐらいネットに没頭してる日々なので、強制終了でしない限り難しいので、なんとかできるようにはしたい……。Twitterがなくなったら、ネットを見る時間が一気に減るかもしれませんが。Twitterの居心地もここ最近で急激に悪くなってきたので、移住先を求めてはいます。このブログだけで良いかな? という気もしつつ。

発作なのか?

 洗い物をしている時、ふと脳が何かの思考に支配されたような感覚になりました。よく分からないまま泣き喚いてしまい、よくわからないまま収まったのですが……。正直どうしてあんな風になったのか、何もわからないまま今この記事を書いています。

 精神的に参ってしまった時に自然と呻いてしまったり泣いてしまうことを『発作』と(勝手に)呼んでるんですけど、今日出てきたのも発作なのか、正直ちょっとよくわからなくて。寒かったせいかちょっと震えが出たのもあって、ちょっとしたパニック状態に陥ってしまいました。比較的すぐ元に戻ったので良かったですけど。

 時折、予兆もなしに泣きたくなったりするのですが、それとはまた違うというか。閉めたと思ってたら実は開いてて中身が溢れ出した、みたいな? 説明が下手で申し訳ないのですが……。なかなか体験したことがない感覚だったので新鮮味がちょっとあります。嬉しくはないですけど。

 少しですが調べたら、メンタルがやられてるんだろうな〜みたいな結果しか出てこないので、案の定ですけど。パニック発作の説明も見てみたけどちょっと違うような気がします。これで外でも出たらさすがに、それなんだろうとは思いますけど。

 最初にメンタルがやられてから6、7年は優に経ちますが、浮上と沈下を繰り返しているのでいい加減予測できろよ、と思ったりもするんですけどね。特に一定期間でかなり落ち込んでしまうので。「今はダメかもしれない」という瞬間はあるものの、明確に「ダメだ」と判断できないんですよね……。

 マイナス感情に支配され切ってしまうより前に対策する必要性を感じてはいるものの、まだ心療内科に電話すらできないでいます。私が働いている時間とやってる時間がドンピシャなこともあり……。今仕事が繁忙期の只中であるのもあり、やっぱり週末は体力回復で時間が終わっちゃって連絡を取るのも一苦労なんですよね。それで今日みたいなことが起きたら元も子もないですけど。

 そもそも、これは果たして発作なのか、よく分からない感情爆発……癇癪じゃないのか、とも思ってしまいます。昔は結構感情爆発させてたんですけど、でもこれは別に爆発する感情もなかったんですよね……。やっぱりちょっとわからない。

 これが持続しないように気をつけねば……と思うけれど、やっぱりちょっと怖いですね。

昨日の私が黒歴史

 ランダムに昔の出来事を思い出してしまい声が出てしまいそうになる(というか出る)現象、ありますよね。仕事中でも歩いててもゲームしてても起きるから最早そういうものだと思ってはいますが……。大抵、恥ずかしかったり思い出したくない場面がフラッシュバックするので、しばらくそれに囚われて気持ちが沈んでしまうことが多いです。

 いわゆる『黒歴史』をどれだけ作ってきたかにもよると思っているのですが、私の場合は高校時代はほぼ黒歴史と言っても過言ではないので、思い出すのは大抵高校時代に起こった出来事です。高校の時の記憶は意図的に思い出さないようにしているのですが、不意に浮かぶのは大体この時期の記憶な上にパターン化されている(決まった何種類かの記憶がランダムに思い出される)ので、フラッシュバックする度にその記憶が強く残ってしまうのが苦しいんですよね。

 その時に「恥をかいた」「痛々しかった」「嫌だった」のような負の感情を抱いていたからこそなのだろうとは思うんですけど。高校生の時は基本全部から回って浮いてたので仕方ないんですけどね。今も大して変わらないかもですが……。

 仕事に就いてからも、何ヶ月か前の叱られたことや失敗したことがフラッシュバックしてしまうことがあって、凹むし奇声も上がるしで全くいいことがない。「失敗に学ぶ」ことが大事だし、次に活かせばそれで良いと思っているはずなのに、それ以上に「恥ずかしくなる・怒られる・失敗する・衆目に晒される」ことがたまらなく嫌で仕方がないということがわかり。恥感情を抱いて、それを時折思い出してまた恥ずかしくなって……という負のループに陥っています。

 成功体験もそこそこ持ってるはずなのに、負の感情というのは恐ろしい。昨日の自分でさえも黒歴史に見えてしまいそうです。さすがにそこまで行くと自分のことを一瞬たりとも好きになれないので、そうは思わないようにはしていますが……。

 フラッシュバックした瞬間、皆さんはどんな対処をしますか? 私の場合はその場面が動画再生のように浮かぶので、テレビの砂嵐のようにノイズをかけた上で太い黒線でグチャグチャに塗りつぶしています。「もう過ぎたことだから、大丈夫」と言い聞かせるのも効果があると以前どこかで見かけたので、これも併せてやってます。それでも何度でも同じ場面が浮かぶんですけどね。

 あの日の自分がいたから今の自分が形成されていることはわかっていますが、もうちょっと上手く立ち回れなかったのか……とも思うところです。上手く立ち回れていたら今こんな風にはなってないですけど、せめて高校時代がな……と思わなくもない。

 フラッシュバックの何が嫌かって、その時に味わった感情まで蘇るところですよね。回数を重ねたので最早捏造された感情かもしれないですけど、一瞬でもその時抱いた感情が出てくるのが結構しんどい。しかも尾を引くからタチが悪い。引きずらない性格なら良かったのに……

 こんなことを言っても思い出してしまうのは仕方がないから、せめて声が出てしまうのはどうにかしたい。

精神と身体の年齢差

 2月が始まってしまった。本当にあっという間に日々が過ぎていく……。のなめも20代後半に差し掛かり、そろそろアラサーに片足を突っ込みかけています。20代前半から始めたこのブログもかれこれ5年ほどが経過しました。今後ものそのそ続けていきますのでよろしくお願いします。とりあえず去年より更新頻度を上げることを目標に……。

 年齢を重ねて、色々なことを経験するにつれ、自分の精神年齢が低いのではないかということに気がつき始めました。具体的に言えば23〜4ぐらいで止まっているような感覚があり……。肉体年齢と精神年齢が離れているような気がしてならないのです。

 子供の頃、精神年齢診断をするのが個人的に流行っていた時期があって、定期的にやってたんですけど。小学高学年の時で30代とか、中学もそのぐらいで。お遊びの一環でしかないんですけど、周囲から見ても割と大人びてるとか落ち着いてるみたいな評価を受けることがままあったので「私って精神的には成熟してるんだな〜」なんて思っていた時期がありました。

 蓋を開けてみれば全くそんなことはなかったんですけど。そもそも態度が落ち着いてるからと言って「精神的に成熟してる」とは言い難いですし。今は自分は大人になり切れない、いつまでもモラトリアムの最中にいるような感覚が残っています。ピーターパン症候群というよりは、単純に成長できてないような印象を受けるのですが。

 段々とこのギャップに苦しめられている気もして、ちょっとしんどいです。20代なんてまだ大人になり切れない年代なのかもしれないですが、それにしたって大人ではないし未熟です。友達が少ないから、同年代の精神的成熟度を測れないのもあるんでしょうけど。私の問題って、大体人と関わるのが極端に少なくて下手くそなことが起因しているような……。

 自分のどこが成長し切れてない、子供っぽいかと言われると、

・面倒なことはどれだけ大事でもやりたくない

→引き延ばし癖もあり、本当にギリギリにならないと手をつけられない

・将来のことを考えない、目先のことしか見えない

→先を見据えて作業や準備ができず、そのせいで散々な目に遭うこともしばしば……

・嫌なことがあるとすぐ辞める

→勉強もゲームも、一個でも嫌なことがあるとすぐ投げ出す傾向にあります。家事とかもそう。

・現実が見れない

→見たくないともいう。自分の未熟さに直面するのがしんどい

 これが当てはまっても大人な人がいるならそれはそれで知りたいですね。

 この先、30代40代と歳をとっていくのに、このまま24歳ぐらいの感覚で止まって大丈夫なのか危惧するところではあります。そもそも私は何歳まで生きるつもりなのかすらわからないですが。

 「大人になっても若い気持ちを忘れない!」とか、そういうわけではないんですよね。そもそも「大人になっても〜」の人たちは感覚が若いというか、ちゃんと価値観のアップデートやインプット・アウトプットができて、若い世代にも理解を示してくれたり初心忘れるべからずでいるから「若い気持ち」でいるわけで。私の場合は「大人の皮を被った子供」なんですよね。逆コナンとよく言われるやつです。

 大人になりたいって言うとやや話が違ってくるんですが、とにかく精神的に自律したい。それが「大人になる」ということなら便宜上そう表現しましょう。このまま身体と心が離れていくのが単純に面倒で辛い。どうにかしたい。

 大人になるって難しいなあ……。

人間関係リセットしてる?

 気がつけば2023年でした。あけましておめでとうございます。今年の目標は、毎週金曜日にブログ更新……です。もうすでにダメっぽいですが。ネタの収集に勤しみたい所存。

 この前、ふとLINEの友だち一覧を眺めていたら、30人を切っていることに気がつきました。皆さんは、連絡を取らなくなった人は削除するタイプでしょうか、それとも気にせず(あるいは整理が面倒で)残すタイプでしょうか? 私は前者です。そうやって消していった結果、26人まで減ってました。中には親戚や家族も入ってるので、除けば20人を下回る結果になります。

 一定の期間で人間関係を一新したい人がいますが、自分はそのタイプではないと思っています。単純に長続きしないだけなので。人間関係を保つのが面倒だから、さよなら〜と切ってしまってるだけなんですよね。それが『人間関係リセット症候群』であるなら、該当するんでしょうけど。

 人間嫌いが人間と関係を続けるのって到底難しい話で、続いている方が奇跡的だと言えます。そもそもLINEで言えば公式アカウントの広告や通知で埋め尽くされるタイプだし、友達とも日常的にやり取りするタイプではないです。

 SNSも同様で、今まで幾つものアカウントを作っては消してきました。今あの人はどうしているのか、全くわかりません。過去に仲の良かった人たちも、もう見る影もなくどこに生息しているのかもわからないのです。未練もあんまりないんですよね。状況によってはスッキリが勝るかも。

 今続いている友達も同様で、今は好きだと思ってるし関わるのがそんなに億劫じゃないから続いているだけで、煩わしくなったら一瞬で切れる可能性もあります。かれこれ10年以上の付き合いの人たちばかりなのですが、この先どうなるかはわからないわけで。もしかしたら10年後には私の前には誰もいないかも知れない。

 ストレス耐性が低くて、殊に人間関係においてはそれが更に強まるので、最悪誰とも関わりたくないという気持ちが出てきたりもするのですが……哀しいかな人の温かみを求めてしまう生き物でもあるので、人と関わることをやめられないんですよね。

 人間関係の何が嫌かというと、何より面倒臭い。年功序列やら性別やらグループやらヒエラルキーやらが色々混ざって複雑でゴチャゴチャしているのが面倒臭い。それに振り回されてストレスを溜めるのも、精神的に殴られ続けるのもしんどくて仕方がない。自分の都合の悪いことが起きるのが嫌で、自分の責任になるのが嫌で、他人に責められるのも嫌で……っていうのが重なった結果の「面倒臭い」なんですよね。逃げ癖は正直ある。

 私は人間に嫌われるタイプの性格や性質をしているのを理解しているので、周りに不快感を与えないように、自分が損しないようにしているつもりです。外面や愛想が良いかと言われると果てしなく微妙ですが、そこそこの仮面を被っているのかもしれません。まあ、単純に他人に興味がないのもある。だから優しくできることもある。

 私と関わって良いことなんてないので。なのでこのままこの感じを続けていきます。

 人間関係をリセットしてるというよりは、よっぽどじゃないと続ける気がないって言った方が正しいかもしれない。

『グレーゾーンの歩き方』感想

 どうも、のなめです。なにを思い立ったか、発達障害・グレーゾーン系の書籍を4冊ほど買いました。実は発達障害系の本をそんなに読んだこともないのですが……。気になった物を適当にピックアップしてみました。その中で、さっき読み終わったばかりのこちらの感想を書いていこうかなと思います。

 

www.amazon.co.jp

 

 今回読んだ本は、成沢真介著『グレーゾーンの歩き方 発達障がい・グレーゾーンの世界を理解する本』です。発売されたのが10月11日と1ヶ月も経っておらず、レビューの数も少なく、正直購入するか悩んだ一冊でしたが、特性や困りごとをエリア区分して、その項目毎に「どうしてそうなっているのか」を客観的目線で詳細に書いてある、というような構成が面白そうだったので購入に踏み切りました。あと、カバーに描かれているイラストやその『エリア』の呼称が面白かったので。

 

 以下、感想です。

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頑張っているつもり

 自分のダメさを痛感するたびに、死への道が一歩近づいているような気がする。週末でリフレッシュもできないし、ほぼ一日中スマホに触って脳みそおかしくしてるだけ。むしろ疲れさせてるし、あとはベッドの上で気まぐれに寝ても疲れが簡単に取れるわけでもなく。どこかのタイミングでスマホを一切触らない日を作りたいんですけどね。休みの日に限らず、平日でもいいけれど。

 自分の仕事への姿勢とか、取り組み方とかが『人並み』にできているのかがわからない。頑張っているつもりだけど、本当に頑張れてるかはわからない。仕事が忙しくなってきて、一人じゃ手が回らなくなってきて、その時に自分がどうなるかがわからないのが怖い。

 先延ばし癖が特に酷いなと客観的にみてわかるレベルなんですけど。特に、メールなどで連絡がくる→しばらく置いておく→取り組む、みたいな現象が往々にしてある。下手すると丸一日放置して別のことやってるんですよ。面倒だと感じる(割と早急なものから急がなくてもよさそうなものまで)ものは全部そうしてしまいがちなんですよね。逆にすぐ終わるなってものはさっさと手をつけて終わらせたり。

 良くも悪くも私の裁量でその仕事の進み具合が変わってしまうのもあって、責任とかがある分、余計に先延ばしてしまう。私が担当している案件は具体的なことは私にしかわからないのです。本当はこの状況がめちゃくちゃ嫌だし、もう二人ぐらい欲しい。大企業でもないのでギリギリの人数で回さなきゃいけないのかもしれないし、一番の責任は上司にあるとはいえ、自分にある責任を分散させたい。私みたいなのが背負っていい責任じゃないと、ずっと思ってるんですよね(年数的にも能力的にも)。

 これだけでメンタルぐちゃぐちゃになってきて、最近家で思い出し奇声が酷くなってきていいます。脳みそにあるゴミの堆積を感じる。最近はもう頑張れてるのか、ちゃんとできてるのかとか、色々考えてしまって不安が尽きません。いい加減病院行こうかな。

 

 大学時代、バイトをしていた頃に、先輩に「頑張っているのは伝わる」と言われたことがあります。高校時代も、先輩に「頑張ってるのが伝わる活動の仕方をしてる」と言われたことがあります。でも、それって本当に頑張ってたのか? と今になって疑問になります。頑張ってたつもりだったかもしれない。でも実は全然手抜きをしてて、頑張ってるフリだけしてたのかもしれない。そういう「ポーズ」だけは昔からずっと得意だったから。

 私は頑張ること、努力することがとても苦手です。そうしたいと思っていても、実際それが難しい。あれこれ理由をつけて逃げることすらせずに、ただただ『しない/できない』。普通の人には理解できないことだろうなとは思います。私にだって理解できないんだから当然だけれど。

 人に「頑張れ」と言われるのが怖い。頑張れないのを見透かされているような気がして。頑張れてないのだと言われてるような気がして。でも自分でも他人に「頑張って」と言ってしまうことがあるから、ただの励ましで他意はないのはわかってるんですけどね。なんと面倒くさい。

 今の仕事が向いてるかどうかは、もう一年やってみて決めたいなとは思っています。ただ、割とメンタルが限界なので難しいかもしれないですが(バイト時代も同じようなことずっと思ってたけど……)。でも辞めた後のことは全く考えてないし、私みたいな社会不適合者がどこで生きてけるのかもわからないですけど。

 まあ、頑張ってるつもりになって、頑張ってみたいと思います。